昨年の幼魚水族館1周年記念のときに聴講させていただいた幼魚サミット、第2回となる今回は話題提供の出番をいただけるということで、種判別の難しい幼魚であってもDNA情報を使えばどの種か分かる、という実例をご紹介することにしました。
私自身は、ふだん多く触れている軟骨魚のほうはまだしも、アカグツに関して、とくに分類について明るいわけではありません。ですが、生物の種の違いやDNA情報を扱う基盤は整っていますから、文献やデータベースを辿りながら、また慣れている生物群での経験に基づいて、進めればよいわけです。といいながらも、下で紹介する手順は、各ステップでさまざまな想定に基づく吟味や慎重な判断を行っており、ひょっとしたら簡単にきこえるかもしれませんが、つまずかずに進めることは容易ではありません。
幼魚水族館で生きたまま想定以上に長く展示されたアカグツ幼魚、成長を見届ける前に息絶えてしまったのは残念でしたが、その体の一部はしっかり冷凍していただいていました。私が受け取ったのは、ほんの一部でした。一言にDNA解析といってもどういった解析を行うのか、そして、何を知りたいのか、によるのですが、種を判別するだけなら、ほとんどの場合、体の一部だけあれば十分です。ヒレだけ、という規模ではありません。もっと小さくてよいのです。体の部分によって、細胞の密度が違う、つまり、含まれるDNA量が異なるために具体的には書きにくいのですが、1ミリ四方あれば十分といってもよいかもしれません。いっぽうで、いわゆるゲノムDNA全体を読み取ろう、という場合にはそれだけでは足りません。
種を判別しようという今回の場合、判別に適したDNA領域を選んで、その領域をPCRで増幅し、その塩基配列を取得する、というのが大まかな流れになります。まず最初に、どこを調べれば判別可能かを把握するために、公共のデータベースを参照しました。誰もが見ることのできるデータベースで、米国のアメリカ国立衛生研究所が運営しているNCBIのサイトが代表的です。そこを見ると、アカグツ属の種のDNA情報が非常に乏しいことがまず把握できましたが、その中でも、チトクロムCオキシダーゼサブユニット I (COI) 遺伝子の塩基配列なら、日本近海に生息するアカグツ、オキアカグツ、テンジクアカグツの情報がある程度すでに登録されていることが分かりました。このチトクロムCオキシダーゼサブユニット I (COI) 遺伝子は、世界各地で行われている野生生物のサーベイ、いわゆる「DNAバーコーディング」プロジェクトで、生物群を問わず広く採用されているミトコンドリアゲノム上の遺伝子です。この遺伝子を選ぶことになるのは、かなり予想できることでした。
調べるDNA領域を決めたら、つぎはPCRで増幅するための短い一本鎖DNA断片、すなわちプライマーの準備です。上記の種を含む複数の種の塩基配列を整列することにより、それらの配列の間で一致している20塩基くらいの領域を複数見出しました。それらの領域を挟んだ部分の塩基配列の不一致が相当数見出せること(つまり、この違いが種判別の決め手になる)を確認したうえで、これらの20塩基くらいの領域2つでプライマーを設計しました。プライマーの配列はGC含量が極端でないこと、それらのプライマー内、あるいは、プライマー間で部分的にでもDNA二本鎖構造を形成しないことも念のため確認をしていました。今回のプライマーだと約700塩基のDNA分子が増幅される想定です。
肝心のアカグツDNAの抽出ですが、上記の体のごく一部から問題なく成功しました。PCRという目的のためなら特別に長いDNAを得る必要があったわけではありませんが、装置で測定した結果、抽出したほとんどのDNA分子が、目的には十分と考えられる5万塩基以上であることがわかりました。このDNAと両側のプライマーを用いて、(さらに増幅のためのパーツともいえるデオキシヌクレオチドとDNAポリメラーゼ、そして、反応に必要なイオン等を供給する液を、反応に適した量を分けとったうえで混ぜ合わせて)PCRをかけた結果、想定通り700塩基対くらいの分子が多数増幅されていることが、アガロースゲル電気泳動の結果、分かりました。ここで、他の長さのDNAは増幅されていないことが重要です。こういった実験では、計画した通りに進まないことも少なくなく、たとえば、ここで、目的とはしていなかった他の長さのDNAが増幅されていると、PCRの温度設定を変更したり(まずは上図内の50℃のところを上昇させる)、新しいプライマーをデザインしたり、という策を講じる必要が出てきます。
期待通りに増幅されたDNAですが、知りたいのはそのDNA配列がアカグツのものなのか、あるいは、他の近縁な種のものなのか、です。そこで、昨今の高校の生物の教科書でも紹介されている伝統的な方法であるサンガーシークエンスというDNA配列決定法を用いて読み取りました。まず、PCR反応液を精製して、プライマーやデオキシヌクレオチドなどを除いたうえでDNAだけを鋳型として次の標識反応に添加します。さらに、DNAを蛍光標識するためのポリメラーゼとプライマーを加えて、温度設定をしてPCRにも用いた増幅装置にかけます。このステップは、片側のみのプライマーによる一本鎖増幅ですので、PCRとは異なります。反応後、DNAの精製をして、読み取り装置(シークエンサー)にかけます。もう片方のプライマーでも別途反応を行って同様に配列を読み取り、両側からの情報を併せて解析し、より確かな結果とすることが多いです。
重要なのは、サンガーシークエンスで得られた配列を、既知の配列と比べるステップです。サンガーシークエンスで得られた配列は下に貼り付けました。その配列を上記NCBIのサイトにあるBLASTという類似性検索ツールで調べることが可能です。今回、検索で最も類似性が高いとして表示されたのは、Halieutaea stellata(アカグツ)の配列でした。さらに、同属で他種の配列も含めて分子系統樹を推定したところ、今回取得した配列は、既存のアカグツの配列と近縁となり、さらに、他の種は、別の枝に属するという系統樹の樹形が得られました。この系統樹推定の結果からは、心もとない面も見えてきました。他の種のうち、たとえばオキアカグツは、ひとつの枝にまとまらず、その原因の一つとして、データベースに登録された配列の由来となる個体の種判別が間違っていた可能性が疑われたのです。とはいえ、今回取得した配列がどの種のものであるか、という点についていえば、それはアカグツのものである、と解釈することで問題はなさそう、という結論するに至りました。
上で紹介したように、たったひとつの遺伝子を狙うのではなく、ゲノム全体だったら・・・。紹介した手順を何度も繰り返すのか、と思われるかもしれませんが、そうではなく、全体を対象にした全く別の方法(PCRで領域を限定したりすることのない全ゲノムシークエンス)を採用します。こういった判断を、目的に従って事前に下して進めていくわけです。必要になる費用や人材配備も異なってきます。いっぽうで、現代でしたら、高速に大規模情報を取得できるようになりましたので、ゲノム全体を相手にすると要する時間が膨大に増える、ということでは必ずしもありません。
今回、幼魚水族館のご了解をいただくとともに、従事した研究室メンバーの了承を得たうえで、種判別の手順をここに記載することにしました。目に見える姿だけではない生命を支えるしくみについて、一般の方々にも考えを巡らせていただきたい、そして、中高生の方々にも、こういった専門的な研究のプロセスについて興味を持っていただきたいと思い、この記事を記載することとしました。なお、含めました情報・素材は、授業等の教材として利用いただいて構いません。
当研究室では、軟骨魚類を中心としながらも、それにとらわれない多様な生物の分子レベルの研究を行っており、学術論文としての成果報告だけでなく、このブログなどを通した発信を続けていきます。
今回サンガーシークエンスで取得した塩基配列
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(必ずアルファベットの大文字で表記するアミノ酸配列と区別するために小文字表記にしていますが、大文字表記と変わりません)
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