当研究室の主導する軟骨魚類DNA情報解析のための活動をSqualomix(すくあろみくす)と名付け、個別の生命現象に注目する共同研究者だけでなく、大学附属の臨海実験所や水族館とも連携したコンソーシアムとして活動を行っています。
昨秋までのSqualomixコンソーシアムの活動をやや私的な雑感も含めて文字にし、板鰓類研究会会報(第57号)に掲載していただきました。会報は会員にしか配布されておらず閲覧は制限されていますが、編集者の許可を得てここに掲載します。
軟骨魚類の分子レベルでの研究を支えるSqualomixコンソーシアム
Squalomix: consortium for genome-wide molecular biology
工樂 樹洋 (国立遺伝学研究所 ゲノム・進化研究系 分子生命史研究室)
Shigehiro Kuraku (Molecular Life History Laboratory, Department of Genomics and Evolutionary Biology, National Institute of Genetics)
初めてインスピレーションを得たのは,入ってすぐの決して大きくはないあの水槽だったかもしれない。クラシック音楽をBGMに悠々と泳ぐ姿を見て,その見た目に惹かれたのは,海産無脊椎動物のサンプリングで院生時代に訪れた京都大学瀬戸臨海実験所に併設の白浜水族館でのことだった。その後,遺伝子ファミリーの多様化パターンを調べる分子進化学的解析の中で,脊椎動物を広く包含する配列情報の必要性を痛感し,軟骨魚類に目を付けた。北米の五大湖では害魚として扱われるヤツメウナギをはじめとして,いまだに複雑な遺伝子進化についての仮説が次々と出されている円口類ではなく,軟骨魚類が脊椎動物の祖先を紐解くうえで今後カギを握るはずだ,と。
ゲノム配列の情報は,どこかの大規模なシークエンス施設で顔の見えない誰かが整えてくれるのを待っていればいつか出てくるものだと思っていた。しかし,3年待っても,5年待っても,計画だけは聞こえてくるものの,信頼できる板鰓類の全ゲノム情報は出てこない。円口類ヤツメウナギについては,完成度は高くないにせよ,複数種で情報がリリースされていたにも関わらず,である。その後,思い立って,自分の研究室でトラザメ(Scyliorhinus torazame)の全ゲノムシークエンスに着手した。幸運にも,腕利きの技術スタッフと当時最先端の装置(イルミナHiSeq1500)が自分の研究室に,そしてトラザメが常時産卵している水槽(理研CDB(当時)の倉谷滋リーダーの研究室が管理)が同じ敷地にある,という状況に恵まれた。その後,大阪海遊館の多大なる協力でイヌザメ(Chiloscyllium punctatum)の全ゲノムシークエンスにも着手した。ゲノムサイズ(細胞あたりの一倍体分のDNAの総塩基長)がヒトの2倍以上もあるトラザメでは難航したが(ヒトで3.2ギガ塩基に対してトラザメでは6.7ギガ塩基),経験を積んでから着手したイヌザメでは半年もかけずに,満足の域に達した(イヌザメのゲノムサイズは4.7ギガ塩基)。どちらも研究室の技術スタッフが手掛けるステップを挟みながら,自分自身がDNA抽出とゲノムアセンブリを行うなどして仕上げ,結果的に,ひとつの研究室で徹頭徹尾進める稀有な脊椎動物ゲノム解析となった。ジョージア水族館とエモリー大学の共同チームがシークエンスしたがアセンブリに大きな改善の余地のあったジンベエザメ(Rhincodon typus)(Read et al., 2017)について,公開された生データを取得してアセンブリし直した結果をも材料とし,種々の分子進化学的解析を行って2018年にその成果を出版した (Hara et al., 2018)。今では染色体規模に配列を繋ぎ上げる際の定番手法となったHi-C法を最適化して既に自前で使用していたが(Yamaguchi et al., 2021a),この時点では欲を出さず,関わったメンバーの出世につながれば,ということも大いに意識し,深追いはせず染色体長に繋ぎ上げる前の「ドラフト」の状態で早めに出版しようという判断であった。ちなみに,ジンベエザメについては,傍から見ると「横取り」ともとられかねない使い方になってしまったが,出版に先立って2017年にジョージア水族館とエモリー大学の研究者を訪問し,互いの興味と研究計画を共有していた。ごく最近の彼ら主導の論文にも,これまでの継続的かつ相互的な連携の跡を残すことができた(Tan et al., 2021)。
トラザメとイヌザメは,胚の安定供給が期待しやすい軟骨魚種として自然な流れで選ぶことになったのだが,軟骨魚について学ぶにつれ,より広範な種の多様性について,とりわけ,世界の各所で軟骨魚類にどういった目が向けられているかについて,より興味を抱くようになった。ジンベエザメに関しては,ゲノム情報をもとに光受容タンパク質オプシンの機能と深海での生態との関係を調べてもいた(山口・工樂,2020)。まさにこの種が興味の入り口になったといってよい。ここから技術面も含め話を進めるにあたり前提としたいのは,「あの生物種のゲノムは既に解読されたので済んでいる」という考えではなく,「同じ種であっても個体が変われば,属する集団についてまた別の情報を与えてくれるうえ,どの生物種のゲノム配列情報も完全ではなく,最新技術を用いてより高い精度へ改善する余地は大きい」という見方である。「全」ゲノム情報があると言われて調べてみたら,自分の知りたい部分が連続する「N」(配列未決定な部分)で埋められていたという苦い経験をしたという人は少なくないはずだ。言ってみれば,ゲノム情報に改善の余地がほとんどないのはヒトだけである。
さて,国際的な情勢に話を移し,日本語では殆どまだ記されたことのない情報についてまとめてみる。ここ5年くらいで,脅かされている生物多様性に対して,世界全体でシームレスに取り組もうという気運,そして,ゲノム配列情報に基づいて測定した遺伝的多様性をエビデンスとして対策を施すことの有効性が顕わとなってきた。これらの展開が相まって,2019年にEarth BioGenome Project(EBP)が正式に発足した(Lewin et al., 2018)。EBP自体は1つのコンソーシアムではなく,国や地域ごと,また,生物群ごとに全ゲノムシークエンスを進めているコンソーシアムをひとつに束ねる「アンブレラ」として活動している(図1)。カリフォルニア大学デービス校(UC Davis)の教授Harris Lewin博士が中心となって,ゲノムシークエンスと情報解析の手法についての情報交換を促進するとともに,アウトプットの完成度を評価する基準の画一化を図っている。2021年6月時点で,22カ国の40以上プロジェクトが加盟しており,日本からは,2021年9月現在,理化学研究所生命機能科学研究センター(筆者の前本務先)とかずさDNA研究所のみが加盟機関として名を連ねている。
図1 各種ゲノムシークエンスコンソーシアムとEarth BioGenome Project (EBP)の関係: EBPは,個別に立ち上げられた「コンソーシアム」間の連携を促進する「アンブレラ」の位置づけに過ぎず,各コンソーシアムの運営について義務を課すわけではない。ここには,EBPに加盟する40以上のコンソーシアムのうち一部のみを含めた(左右方向の順序に意味はない)。鳥類の神経生物学者であるErich Jarvis博士が率いるVertebrate Genomes Project(VGP)は有用な複数のシークエンス法をふんだんに利用し,全脊椎動物種について最高精度の全ゲノム配列情報のリリースを目指している(Rhie et al., 2021)。サンガー研究所のMark Blaxter博士が率いるDarwin Tree of Life(DToL)は,英国に生息する真核生物全種を対象とする。筆者の率いるSqualomixは,軟骨魚類のなかでも持続的な研究に供しやすい種や日本近海に生息しこの国で研究する価値が高いと考えられる種に注力している。これらのコンソーシアムが試料の由来を意識して個体レベルの情報取得を行っているのに対し,DNA Zooは,他所が手掛け既に公開されたドラフト配列に対し,別個体からの情報を独自に取得し染色体規模の配列延伸だけを行っているケースが多い。このコンソーシアムの運営母体である Erez Lieberman-Aiden博士の研究室においてHi-Cデータ取得の実績が豊富なためである。コンソーシアム間では,こういった配列情報の導出過程に違いがあることに加え,それぞれのコンソーシアムが生産する配列情報にはデータ利用についての規程があるため,これらを把握したうえで目的に応じて利用することが重要である。筆者自身は,利用の際には統括する研究者に直接連絡をし,許可を得て論文出版する際にはオープンなデータ公開への謝辞を述べるようにしている。
筆者の研究室では,その後,分類学・系統学的に多様な種を包含することをとくに意識して解析対象種を増やしてきた(対象種リストは,https://github.com/Squalomix/infoに掲載し随時更新)。また,メガマウスザメ(Megachasma pelagios)の貴重な組織や,死亡漂着したウバザメ(Cetorhinus maximus)の冷凍試料(古満ほか,2015)にも恵まれた。これまでに,板鰓類については,キクザメ目以外の12目について少なくとも1種での試料確保とトランスクリプトーム配列情報の取得するに至った。DNAシークエンスを端緒に進めてきた一連の分子情報取得は,発生や内分泌系についての興味に基づく多数の共同研究にも発展した(例,Imaseki et al., 2019; Okamoto et al., 2017)。この活動を世界のどこからでも見つけてもらいやすいように,コンソーシアムとして「Squalomix」と命名し,2020年11月に上記のEBPに加盟した(Kuraku, 2021)。軟骨魚を対象に含んでいる他のコンソーシアムとは,種選定における無用な競合を減らし,互いに連携して世界の軟骨魚種の全ゲノム配列情報の効率的な取得とその利用促進を目指している。水族館の協力のおかげで受精卵そして血液という計画的に入手しやすい生体試料に恵まれ(野津ほか,2019; 喜屋武ほか,2019),ゲノム配列を取得するだけではなく,ゲノムサイズの測定や核型解析という細胞を用いた種固有の基礎情報が取得できること(Uno et al., 2020),そして,トランスクリプトームやエピゲノムといった,ゲノム情報発現のメカニズムに迫る解析が可能となっていることが(例,Onimaru et al., 2021),他のコンソーシアムとは異なるSqualomixの強みであると自負している。
ごく最近では,岡山大学理学部附属牛窓臨海実験所の協力で,アカエイ(Hemitrygon akajei)のサンプリングを行い, Pacific BioSciences社のSequel II/IIeシークエンサを用いた全ゲノムシークエンスをかずさDNA研究所と共同で行った。日本国内でこの種を用いた分子レベルの解析を行っている研究者には,正式に論文として発表する前に得られた配列情報を利用いただく方針で準備を進めている(2021年9月末時点)。かつてトラザメに対して,イルミナ社のシステムを利用したショートリードシークエンスで着手した時代からは,技術が大幅に進歩した。Pacific BioSciences社のHiFiロングリードを用いると,たった1つのゲノムDNAライブラリをシークエンスするだけで十分とされ,得られたDNA配列を繋ぎ合わせるアセンブリは,たとえゲノムサイズが5ギガ塩基を大きめであっても,ある程度のスペックのワークステーション(例,Xeonプロセッサ48コア,メモリ1TB)上で,たった一晩で済ませることができる。いわゆるPCであっても高スペックならば(例,Intel Core i9プロセッサ, メモリ128GB),数日で終わる規模の計算である。ショートリード時代には,インサート長の異なる4,5種類のDNAライブラリを調製し,アセンブリに数週間かかっていた。比較すると,費用の節減は当然のこと,時間も大いに短縮されている。ただ,誰が手掛けても成功するかというとやはりそういう訳ではなく,ロングリード手法では,とくに長鎖のDNA分子を抽出するという一見レトロな実験スキルが成否を分ける,ということを特筆しておかなければならない。
これまでの解析結果について簡単に述べると,同じ「魚類」でありながら,硬骨魚類とは大きく異なる軟骨魚類の特徴が数多く見いだされた。種間でばらつきは大きいものの,増大しがちなゲノムサイズ,遅い分子進化速度,そして,ゲノム中にはびこる多数の反復配列などがそのおもな特徴である(Hara et al., 2018; 総説はKuraku, 2021)。オプシン遺伝子については,硬骨魚類が遺伝子数を増やし,発現部位や吸収スペクトルを多様化させているのに対し,軟骨魚類,とくに板鰓類では,遺伝子数が際立って減っており,光受容への依存度が弱まっていることが示唆される(Yamaguchi et al., 2021b)。深海棲として知られるいくつかの種では,オプシンの中でも明暗視に関わるロドプシンの吸収極大波長が,海中最も深くまで届くといういわゆる青色光の波長(約480ナノメートル)にシフトしている(「ブルーシフト」という; 山口・工樂,2020)。この現象は,これまで調べた中ではトラザメで顕著である(Hara et al., 2018)。ジンベエザメのロドプシンにも同様に深海での光受容へのチューニングが見られるが,摂餌などを行う浅海での活動の際に明順応を助けるような,軟骨魚類の中でもジンベエザメだけが持つ分子機能を獲得した可能性がある(発表準備中)。ジンベエザメというと,現存種の分類では一科一属一種となっており,他の現存種の祖先と袂を分かったのは5千万年以上も前のことと推定されている(Naylorら,私信)。この孤立した系統で,我々がよく知るジンベエザメ「らしさ」がどのように確立されたのか,これを明らかにすべく視覚以外についても解析を進めている。ホホジロザメのゲノム情報を報告した論文には,大型化や長寿命化の手掛かりに迫るための解析が含まれていたが(Marra et al., 2019),他の軟骨魚類と比較することなしに行われたことに問題を感じて,これを指摘した(Yamaguchi and Kuraku, 2021)。同様の問題に陥らぬよう,ジンベエザメを主眼とした解析では,現存の最近縁種のひとつであるトラフザメ(Stegostoma tigrinum)を格好の比較対象として捉え,この種の全ゲノム情報をも取得して解析を進めている。
さいごに,Squalomixの本拠地である筆者の研究室は,神戸理研での活動体制を当面残しつつ,2021年4月から新たに静岡県三島市の国立遺伝学研究所に活動拠点を徐々に移していく運びとなった(研究室ホームページ: https://www.treethinkers.info/)。今後も,日本ならではの生体試料を活用しながら,情報科学に基づいてDNA配列を解析することにより,生物多様性の成り立ちと今を究める研究を広範に進めていく方針である。これに取り組むために,新たなメンバー(大学院生,ポスドク)を受け入れる準備がある。分子情報の探索における単発の相談や大規模データの利用を伴う長期的な共同研究についても,大学共同利用機関法人として様々な受け入れ手段が用意されているので(https://bit.ly/3iaz8Mu),適宜ご相談いただきたい。本会会員のかなりの割合の方々もそうであろうか,ここで紹介した活動は軟骨魚類以外の生物についての研究の傍らで細々と進めてきた期間が長かった。いわゆるマイナー生物の研究に最先端の技術を注ぎ込むために,技術の運用現場に身を投じ,これが功を奏したようにも思えたが,最先端の研究現場ゆえの喧騒の中で停滞する時期もあった。しかし,多くの方々のご協力のおかげで,本腰を入れて向き合うための体制ができつつある。いつか「軟骨魚類を究めたからこそ脊椎動物の進化が明らかになった」と胸を張って言えるような研究を,各方面の専門の方々と連携しながら進めていきたい。繁殖様式の分子基盤やゲノムの肥大化メカニズム,そして,分子進化速度と寿命の関係など,相応しい課題はたくさんある。
謝辞
日頃の活動を支えている神戸理研の研究室のメンバーに加えて,試料を提供くださった園館,すなわち,大阪海遊館,沖縄美ら海水族館,アクアワールド大洗,京都水族館,新江ノ島水族館,志摩マリンランド,東海大学海洋科学博物館,アクアマリンふくしま,須磨海浜水族園,そして,試料提供を含む学術的な相談にご対応いただいた坂本竜哉博士(岡山大),倉谷滋博士(理研BDR),山口敦子博士(長崎大),田中彰博士(東海大),堀江琢博士(東海大),兵藤晋博士(東京大),寺北明久博士(大阪市立大),小柳光正博士(大阪市立大),佐藤圭一博士(沖縄美ら海水族館・沖縄美ら島財団総合研究センター),野津了博士(現・熊本大),中村將博士(沖縄美ら島財団総合研究センター),西田清徳博士(大阪海遊館),朝日田卓博士(北里大),沼口麻子様,さらに,DNA配列情報取得についてご尽力くださいました磯部祥子博士(かずさDNA研究所),白須賢博士(理研CSRS),増田幸子博士(理研CSRS),株式会社イルミナ,株式会社マクロジェン・ジャパン, 日本ジーンウィズ株式会社,トミーデジタルバイオロジー株式会社,株式会社ジーンベイ(以上,順不同)には多大なご協力に感謝いたします。本コンソーシアムにおける研究は,日本学術振興会からの科学研究費補助金(「先進ゲノム支援」 16H06279 および「基盤研究B」 20H03269), 理化学研究所からの運営費交付金,国立遺伝学研究所からの運営費交付金によって進められています。
文献
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